第八章:ワンちゃんに関する法律
8-1:動物愛護とは?

登場人物
知香(21):第二章に登場した智子の友人のトリマーさん。
      定期的に東京に出かけ、トリマーの修行をしているという、
      格好いい一面もあるが、新宿に行くと人混みに酔ってしまうという、
      カントリー娘な一面も持つ。
聖子(21):知香の友人のトリマーさん。
      知香とは高校の時からの友人だが、常に知香にライバル視される、
      優等生的な女の子。


 2002年師走、味のある(!?)クリスマス・イリュミネーションに包まれた甲府駅を、知香と聖子がブラブラと
今回はちょっと難しいお話…
歩いていた。ちなみに、作者である私は、去年、甲府に来たが、クリスマスになったら、甲府駅前にあるデッカい武田信玄像は、てっきりサンタの格好をするものだとばかり思っていた。まぁ、カーネル・サンダースじゃないんだから、そんなことしなくてもいいんだけどさ…ちょっと期待してたのに。

知香「今年もあと少しだネ〜。20才過ぎるとさぁ、一年経つの速くない?こうやってドンドン年をとっていくのかなー。なんか最近さぁ…、アーチストの名前が覚えられなくなってんだよネー。みんなすぐに出ては消えって感じでしょ。」
聖子「例えば?今年出てきた人で一番好きなの誰?」
知香「ん〜…あっ、あの人!!沖縄っぽい歌うたってるひと。なんだっけ。モトちとせ☆」
聖子「え?…それって元(はじめ)ちとせのこと?何よ、モトって。冬樹じゃないんだからさ。」
知香「うるさいな…。じゃぁ、聖子は誰が好きなのよ。」
聖子「え?私?そーねー…青筋が好き。」
知香「は?誰それ?」
聖子「知らないの?台湾と日本のハーフの人。もらい泣きって歌うたってるじゃん。」
知香「…それ…もしかして…一青 窈(ひとと よう)のこと?確かにパッと見、青筋って読めなくもないけどさ。最初の一はどこいっちゃったのよ、一は。」

と、その時である!!ショート・コントと本章のテーマを、無理矢理結び付けるため、二人は、動物虐待のシーンを目の当たりにすることとなった(変な日本語…)。待て、次週!!

※↑続くのかよ!!…と三村ツッコミも終わったところで、今回から、ワンちゃんに関する法律について、簡単に触れていこうと思う。「犬」に関する法律と言えば、まっ先に思い浮かべるのが狂犬病予防法だが、最も
法律のお話だけど、敬遠しないようにネ
ワンちゃんの生活に密着した法律と言えば、やはり、動愛法こと、動物愛護法だろう。実はこれは簡略化した言い方で、正式には、「動物の愛護及び管理に関する法律」という。この法律は、動物の保護や、動物虐待の防止、動物から加えられる危害の防止などを扱ったものだが、詳しい内容は次回書くとして、今回は、動物愛護の思想や、その移り変わりをちょっと書きたいと思う。難しい内容かもしれないが、マメ知識もあるので見たって下さい。

 動物愛護思想とは、動物を愛し、いつくしもうという考えであり、人間の中に広く、一般的な性質として認められるものだが、世界中を見渡してみると、様々な形をとる場合がある。
 例えば、相手を恐れることからくる愛も、愛の一つの形である。凶暴な力や猛毒をもつ動物に対して、人間が恐れを抱く時、その動物を恐れながらも、その動物の力にあやかろうとして、愛着を抱き、あがめ、敬う。これは、動物崇拝と言われ、いまだに世界各国に残っている。例えば、ワニの崇拝とかライオンの崇拝とかである。また、動物崇拝は、その動物が、人間に食料をもたらすという経済性から生まれることもある。例えば、オーストラリアにはカンガルーをあがめる部族がいる。なんでかって?カンガルーが彼等の食料になるからである。
 また、キリスト教的動物観からくる、支配する愛の形もある。難しい表現だが、言ってることは単純。キリスト教では、神様が全世界を支配する絶対的な権力を持ち、その神様と契約した人間は、神様に、動物達を支配する権限をゆだねられたのである。つまり人間は、動物に対して何をしても良い、殺して食べようと、労働に使おうと自由なのである。このような、支配するものとされるものとの関係に見られる動物愛護思想は、キリスト教徒の多い、欧米諸国にみられるものであった。何か変な愛情ですが…。
 では、日本を含むアジアはどうか。日本人である私が、支配する愛を不自然なものと思うのは当然。アジアン・テイストな考え方とは、人間と動物とは、本来、同じもので、たまたま形が違うだけだとする、仏教的な思想なのである。 仏教には、人間を含むあらゆる生き物が、様々な形をとって何度も生まれかわってくるという、輪廻転生という考え方がある。犬も鳥も虫も、あるいは植物さえも、前世は人間であったかもしれないし、今の世で人間であっても、次の世では虫やカエルに生まれかわることがあるかもしれないのである。そう思うと、ほら、明日は我が身だから、ワンちゃんをいじめたりできないでしょ?だって、自分が生まれかわったら、もしかしたら、犬になっちゃうかもしれないんだから。そんな、生き物みな兄弟的な考え方が、日本人の中には根強くあるのである。

 ここまで見てみて、ふと疑問に思うことがある。欧米人だって、鯨を食べるな、とか言うじゃん。なんで?キリスト教の教えなら、動物には何したって良いんでしょ?そう、そこで、動物愛護思想というものが登場するのである。宗教的には、動物には何してもOKだが、やっぱりよく考えると可哀相じゃん、やめようよ、というものである。
 この思想が生まれたのは、イギリスが最初であった。イギリスでは、牛に犬をけしかけて遊ぶ「ブル・ベイティング」という娯楽があったり
ネッ、かみつきやすそうでしょ
(ブル・ドッグは、この遊びのために改良された犬種なのである。あのペチャンコの顔は、牛にかみつきやすいように作られた物なんですネー)、移動手段として馬をコキ使うということがあった。それらをやめさせよう、という法律が、1822年、マーチン法として成立した(リチャード・マーチン議員の発案)。これが、世界で初めて、動物のことを考えて作られた法律である。

 では、日本の動物愛護思想はどのように生まれたか?日本では、上述の通り、元々、動物は大事にしましょう、という考えがあった。
が、文明開化における西洋化と同時に、動物は人間に奉仕するもの、追い立てるもの、殺して食べるもの、という風潮が広がり始めた。つまり、動物虐待が輸入されてしまったのである。
これに歯止めをかけたのは誰だと思いますか?なんと、五千円札で有名な(本当は他のことで有名なんだけど…)、新渡戸稲造(にとべ いなぞう)博士の奥さん、万里夫人(本名マリー・エルキントンというアメリカ人女性)なのである。何をしたかというと、明治天皇の崩御(亡くなった、ってこと)の際、その霊きゅう車をひく牛のご飯を減らしたことに対して抗議したのである。なんで牛のご飯を減らしたかというと、明治天皇の遺骸を乗せた牛車が、道々、汚いフンを落としたのでは、不敬にあたるから、という理由からだった。当時、天皇は生きている神様とされ(国民の象徴、どころではなかったのネ)、皇室を侮辱した者は不敬罪という罪に問われて、監獄へぶちこまれるような時代だった。そんな時に、この抗議だから…皆、度胆を抜かれたらしい。
しかし、この抗議がきっかけとなり、やっぱ動物は大切にしなきゃネ、という考え方が復活した。日本の動物愛護思想には、こんな歴史があったのである。

 そんな経緯の中から生まれた動愛法には、動物虐待をした際の罰則や、繁殖制限についてなど、色々なことが載っているが、それはまた後の回でやりましょ。
ちなみに私は何の宗教にも染まっていない無神論者ですのでご安心を!
あえて言えば”斉藤大志教”崇拝者です。


教訓:
一、何だろ…動物は大切にすべし!!かな?当たり前だけどネ。

次回、動愛法の詳細について。さて、動物虐待をしてたのは、誰なんでしょう?


獣医師:斉藤大志



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