第十章:ワンちゃんの救急箱

10-1:事故にあったら

登場人物

拓也(21):大学生。磨井子の家も追い出され、
      途方に暮れていたところを、弟分の慎也に拾われた。
      両親が動物好きなので、それなりの(?)知識を備えている、つもり。
慎也(20):大学生。拓也の後輩で、家でハスキーを飼っている。
      基本的に動物好きなので、路頭に迷う拓也を、
      捨て犬を拾う気持ちで保護してしまい、一時的に同棲している。


 慎也の部屋に転がり込んだ拓也は、せめて家事くらいは手伝おうと、慎也が早朝のハスキー散歩に出かけている間、寒い台所に立ち、合挽き肉から手ごねハンバーグをこしらえ、それを焼いている途中、ベランダで洗濯機を回し、その回転をジーッと眺めていた。季節は冬…。恩返しのためとは言え、なかなかできることではない。「これって…愛…かな…?」と、危ない妄想に浸りながら、拓也はその状況に酔っていた。別に、洗濯機の回転をみつめ過ぎて酔ってしまった訳ではない。
 朝っぱらから作られた、こってりハンバーグが焼き上がる頃、いきなり、慎也が血相を変えて、走って帰ってきた。

こんな感じ?…犬種違うって!!
慎也「大変だーっ!!ハー君(ハスキーのことネ)が、ハー君が交通事故に合っちまったーっ!!」
拓也「マジか!?何とぶつかったんだ?ケガは?ないんか?」
慎也「これ…血、血…。」
拓也「げっ。大量出血じゃんか。あれ?でもハー君から血出てないぞ。」
慎也「バイクと…バイクが…。」
拓也「バイクにひかれたのか?」
慎也「バイクをひいたんだよ、ハー君が。そんで運転してた人が転んじゃって…。ハー君は無傷なんだけど。その人、病院送りにしちまった。」
拓也「…お前んとこの犬はボブ・サップか…。」


笑い事ではないですゾ
※文字通り、「ビースト(野獣。動物、家畜という意味もある)」ですな。さて、今回の例は大きい犬ならではの特殊な例だが、ワンちゃんが交通事故にあった、というのは、夜間緊急回線にもよくかかってくる症例である。あんまり都会の方だと少ないだろうが、ノア動物病院の本院がある山梨県甲府市は、まだまだ田舎であり、ワンちゃんの放し飼いも多く、交通事故が頻繁に起こる。また、山梨の人は運転が荒い。というか特殊である。「山梨ルール」という、どこの交通教本にも載っていない、独自の交通ルールで運転される方が多いので、それも交通事故の多い一因なのかもしれない。なにせ、交通標語に「ストップ・ザ・山梨ルール」というのがあるくらいである。なので、今回は、自分チのワンちゃんが交通事故にあったら、どう対応すべきかをお話しましょう。

 まず、自分チのワンちゃんが車やバイク(もしくは自転車、三輪車、ボブ・サップ?)にひかれたら、その後の状態をよく観察し、早急に動物病院に連絡をとり、診察を受ける必要がある。
 もし、ひかれた時、頭や背骨をうっている可能性があるならば、あまり手荒に持ち上げたりしてはならない。動かすことで、神経系に起きた障害をひどくしてしまう可能性があるからである。小さい犬ならば、体全体を動かさないように支えて持ち、段ボールやキャリーに入れて運ぶ。大きい犬ならば、なるべくなら担架のようなもの(しっかりした板のようなものでも良い)に乗せて運ぶ。担架をワンちゃんのそばに置き、ワンちゃんをひきずるようにしてその上に乗せて、それから運ぶ。毛布のようなものにくるんで持つのも運びやすいが、やはり首や背骨を固定できる持ち方ではないので、あまりお勧めはできない。
 あとは、ワンちゃんが痛がらない、
楽な姿勢…
楽な姿勢で運んであげるのも重要である。傷口を下にして寝転んでいた方が楽な場合もある。見ている側としては、「傷口は触らないほうが痛くないんじゃないか?」と思って、無理矢理にでも体位を変えて、傷口を上にしがちだが、それは止めた方が良い。余計なお世話である。ワンちゃんが一番楽になる姿勢をとらせてあげるのがベストである。

 また、この時、ワンちゃんに咬まれないようにすることも重要である。事故にあったワンちゃんは、その痛み、衝撃でパニックになる可能性がある。というか、ほとんどパニックになる。それを、背中をなでながら、声をかけながらなだめてあげるのも良いが、ほとんどのワンちゃんは、神経過敏になっているため、普段、人を咬まないワンちゃんでも、ガブッとくる危険性が高い。飼い主様でも他人でも、区別がつかず、見境なく咬んでくることがある。なので、そのような傷を負っているワンちゃんに近付く、触れる際は、十分に御注意を。
 もし出血していたら、早急に止血する必要がある。あまりにも血がたくさん流れ出てしまうと、ショックの状態になる危険性があるからである。何か清潔なタオルなどで、出血部分を圧迫し、まずは血を止める。それから、「どうしようかな?」と悩めば良い。この場合、押さえるものはきれいな方が良いが、汚くてもしょうがない。「傷口からばい菌が入るから…」などと考えて、汚いタオルを持ってウロウロしていたら、その間の出血で、ワンちゃんが亡くなってしまう可能性もある。細菌感染でいきなり死ぬことはないが、出血でいきなり死ぬ場合はある。細菌感染は、後で消毒や化膿止めの薬を飲めば、なんとかなるので、まずは出血を止めてあげましょう。
 あとは、動物病院へ行ってから、色々な質問に答えられるように、情報を整理しておく。獣医師として気になるのは、「頭をうっていないか?」「胸をうって肺が傷付いていないか?」「下腹部をうって膀胱破裂していないか?」などである。
「足を骨折していないか?」などはあまり気にはならない。なぜなら、それで亡くなることはまずないからである。足の骨折などは、命が助かってから、手術などで治していけば良い。まず命ありき、である。
 なので、現場を見たのであれば、車のスピード、どこをうったか?一部分だけなのか?全身打撲なのか?くらいは分かると良い。あと、やはり少しでも出血していると、心配になって拭いてしまうのが親心、ならぬ飼い主心である。出血しているのであれば、それは止めてやる必要があるが、どこから出血していたかは、正確に覚えておかなければならない。例えば、耳や鼻から出血していたら、頭をうっている可能性があるし、口から出血していたら、肺からの出血(喀血。かっけつ)や消化管からの出血(吐血。とけつ)が考えられる。オチンチンや陰部からの出血があれば、膀胱からの出血、または膀胱破裂の危険性が高くなる。それらを全部きれいに拭いてしまうと、獣医師に正確な情報が伝わらなくなる。「拭くな」というのではなく、「どこから出血があったのか、覚えておいて下さい。」ということである。
 例えば、交通事故で運ばれて、呼吸の速いワンちゃんがいた。もし血を吐いたのであれば、胸をうって、肺から出血し、呼吸がしづらくなっている可能性があるため、すぐに酸素を吸わせてあげる必要がある。入院室も、酸素を満たした「酸素テント」と呼ばれるものにする必要がある。喀血した、というだけで、もしレントゲンが撮れなかった場合でも(呼吸が危なくて押さえられない時など)、すぐに酸素テントが用意できるのである。これとは逆に、酸素を吸わせないほうが良い場合もある。例えば、肺出血はないが、肋骨(あばら骨)が折れて、メチャクチャ痛がっている時。この時、胸を動かして呼吸すると痛いので、ワンちゃんは浅く速い呼吸になる。すると、過呼吸と言って、肺に酸素が入り過ぎた状態になる。こんな時、酸素を吸わせると余計ひどくなるので、その辺の見極めが難しい。胸のレントゲンを撮れば、ある程度分かるが、撮れない場合もある。なので、飼い主様、もしくは目撃者の情報が頼りになるのである。
 また、オチンチンから出血していた時は、膀胱からの出血や膀胱破裂が疑われる。膀胱が破裂していたら、
先生!!お願いします!!
当然、手術である(緊急ではないが、できるだけ早急に)。レントゲンや超音波による画像診断で、ある程度分かるが、それができない場合もある(前述)。その時、飼い主様の情報が役立つことがある。もし、お散歩中にひかれたのであれば、散歩の前半でひかれたか、後半でひかれたかで、随分結果は異なる。前半でひかれた場合。当然オシッコ前なので、膀胱がパンパンの可能性が高い。そんな時、膀胱に衝撃が加わるとどうなるか?ふくらんだ風船は割れやすいですよネ。なので、膀胱破裂の危険性が高まる。
逆に、散歩の後半でひかれた場合はどうなるか。当然、オシッコ後なので、膀胱はしぼんでいることが多い。そんな時ひかれるとどうなるか?しぼんだ風船は割れないですよネ。つまり、膀胱破裂の確率はグンと下がる。そのような細かい情報でも、診察に役立つことがあるので、獣医師に、整理された情報を伝えられるよう、飼い主様はパニックになることなく、努めて冷静でなければならない。難しいですけどネ。ちなみに、よくテレビで見るような、事故→病院へ搬入→緊急手術、というようなケースは人間ほど頻繁に行われない。

 このようなことで、なんとか命が助かった場合でも、すぐに油断はできない。事故があった場合、基本的には72時間、つまり丸3日間は絶対安静が必要である。事故にあった場合、身体の奥底に障害が加わっている可能性もある。見た目は普通でも、見えないところで少しずつ出血し、事故後2日で貧血でぐったりしてくることもある。なので、事故の後は、ほとんどが入院となる(ハー君の場合などは特殊な例である)。で、毎日のように状態をチェックし、血液検査を行い(必要な項目だけ)、新たに症状が出てきていないかを、注意深く観察する。それだけお金もかかる。でも仕方がないのである。これを防ぐにはどうするか。ひかれなければよいのである。車の往来の多い道を散歩コースにしない、散歩中にワンちゃんが勝手に進まないようにしつける、散歩中にリードを放さない、放し飼いはもってのほか!!交通事故は、そのほとんどは、人間が気を付ければ防げるものだと思う。そう、ここでも「しつけ」の重要性がクローズアップされるのである。

 その他、家の中の事故もある。例えば、踏んづけちゃった。何か(ベッドとか)の下敷きになっちゃった。よくある症例だが、これも人間が気を付ければ減らすことはできる。基本的な対応は、交通事故と同じである。足だけ踏んだのであれば、緊急疾患にはならない。ぐったりするようなら、まずは救命が再優先。四つ足の骨折は、その後で大丈夫である。


教訓:
一、事故にあった場合、ワンちゃんをあまり動かさず(移動はするよ)、興奮させず、速やかに動物病院に連絡をとると同時に、事故の状況を整理して、獣医師に正確に伝えられるようにすべし!!
二、事故後72時間は、何があるか分からないので、絶対安静にすべし!!

次回は、変なものを食べた場合について。ハー君が何かやってくれそうです…。


獣医師:斉藤大志



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